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日曜日, 2月 16, 2025

南阿蘇の中郷天満社


 南阿蘇、高森の中郷天満社。背後は阿蘇山と根子岳。季節折々に風情のある神社。冬枯れも絵になる。春の水田が水鏡になる時期もいい。

金曜日, 2月 07, 2025

志高湖

別府の志高湖である。10年ほど前は九州内のオルレをあちこち歩いていた。これは12月の寒い頃。雪の後である。遠景は鶴見岳。九州ではなかなか見ない高原の冬景色である。
 

火曜日, 2月 04, 2025

VISSLA ISA young surfers

2017 VISSLA ISA サーフィン世界大会の時に撮った写真をもとにしている。世界各地のサーファーが集った。これはアルゼンチンチーム。

これを描いて、はじめてアルゼンチン国旗を詳しく見た。真ん中の太陽は人面になっていたんだね。子どもが描くには太陽がもっと大きくないと大変だ。

土曜日, 1月 11, 2025

高千穂町下野近辺の棚田。春の頃。中央の家が隣人の実家であるが、長年空き家となっている。買い手もいないという。のどかでいいとこなんだがなぁ。棚田も斜面の草はかつては牛の飼料としてキレイに刈り取られていたが、最近はそれもなく。草ボーボーのところも増えたし、手っ取り早くモルタルで固めているところもある。いつまでもは見れない風景である。
 

木曜日, 1月 09, 2025


 大分県竹田市久住で見かけた牧場風景。久住高原コテージのそばである。
あの家は牧場の自宅ではなく、別人の別荘ではないかと思う。ここは標高が900mもあるから、冬の寒さはかなりのものだろう。ステキな家だが私には無理。あたたかい海辺の別荘がいいな。

金曜日, 8月 02, 2024


 ヨーグルトのビンに小さなバラを活けてみた。だから花はすごく小さい。夏でも咲くバラである。こんな絵はビンの透明感を出せればなかば成功である。写真を見てそのまま描けばだいたい透明感は得られる。そしてバラの実在感も意外と簡単である。バラは花弁に色の濃淡があり、多重に重なっているので明暗もはっきりしているからそこを描ければバラらしくはなる。葉っぱの方が難しいかもしれない。

月曜日, 7月 29, 2024

熊本県、阿蘇外輪山の外側の波野村あたり。丘陵の間の平地にはキャベツ畑、という地帯。遠景が森林の山ならここらでもありふれた風景だが草原の丘陵という景色は阿蘇特有だ。

火曜日, 7月 23, 2024


 昨年、岡山県長島の愛生園を訪れた。単なる観光であるが。愛生園はハンセン病の隔離施設であった。施設というより島丸ごとが世間から隔離されていた。現在はハンセン病はそう危険な病気ではないということで隔離政策はないが、昔は非人道的な隔離政策があった。子どもですら親から離されこの島に閉じ込められる。絶望的なのは島から出られる可能性はない、ということだった。そんな悲劇をここの資料館が記録している。資料館の階段の窓である。ツタのからまるのが屋内から透けて見えた。

日曜日, 7月 21, 2024

平尾台

福岡県北九州の平尾台である。季節は5月。5年ほど前にトレッキングに行った。カルスト地形を歩く、というのはなかなか機会がない。カルスト地形というと秋吉台か四国カルスト、が有名だが車であっという間に通り過ぎる感があるが、歩くとゆっくり楽しめる。
 

黒田の家臣


 日向市細島の日向岬に黒田の家臣、という小さな陸繋島がある。満潮時には島となる。そこには幕末の争乱で薩摩藩によって殺された筑後秋月藩の藩士の墓がある。明治になってその藩士たちは名誉回復されたらしく、その石碑が建っている。そこの海岸である。駐車場は10台分くらいしかないが、本日は緑陰を求めて満車であった。遠見半島の先には入道雲が立ち、夏空である。

日曜日, 6月 30, 2024

 

広島県大崎上島 木江の町並み。ほんの100mに満たぬ通りに昔の花街の名残を残す建築群があるが、ほとんど無人の廃墟であった。行ったのは7年ほど前だから今はもっと廃墟か空き地になっているだろう。この近くの木江の集落が山田洋次の「東京物語」の舞台になっている。


 細島港の夕景。建物は第一糖業の工場。

XPPENとAlpacaで。雲はエアブラシ、前景は黒一色で別レイヤで描くので楽に描けた。

月曜日, 4月 22, 2024

えで始まる言葉


え、もなかなか絵にならないが、なんとか揃えることができた。孫の大好きな駅も入れた。

 

か ではじまる言葉


 かぜ、かき、かまぼこ、かも、かい、かめ、かまきり、かもめ、かさ、かっぱ、かに、かわ、かお、カレー、カヌー、かつどん、かめら、カンガルー。

かはいっぱい思いつくな。

浜辺の少女

 本日は浜辺の美少女。下に元写真があるが、波の様子を少し変えている。


2017年に日向市お倉が浜でVISSALAユースサーフィン世界大会が開かれた。世界各国から若いサーファーたちが集った。サーフィンの大会というのは素人が眺めていてもさっぱりわからない。面白くもない。かなり地味なスポーツである。しかし、世界の若者たちが波打ち際で応援している姿は面白かったので写真に撮った。すごいカメラを持ったおじさんカメラマンも何人も来ていたが、彼らもかわいい女の子のショットを狙っていた。



参加国は偏りががある。早い話白人国ばかり。それもイギリス連邦諸国が多い。チャネル諸島とかバハマとかあまり聞かない国たちは独立国というよりイギリスの海外領土。





特にカナダ人のこの女性の立ち姿がステキだったので写真にとった。6年ぶりに見返して絵に描いたというわけ。



土々呂回想

 本日の一枚は土々呂


ファイアアルパカは表現できるブラシが限られている。これは水彩のつもり。

土々呂の浜に漁船が上げられている情景。元の写真はたぶん私が撮ったものでたぶん1970年代だろう。まだ海浜公園ができてなかったころ。まだ無動力の漁船が存在したころ。

これはそれ以前、1960年代のまだ海水浴場があったころ。



これは1960年代末か。私が撮ったもの。まだ一ヶ岡の団地の造成が及ばず、段々畑が無数に見えている。


これは最近。埋め立てで海浜公園ができ、さらに砂浜が広がっている。したがって、絵の頃に比べて対岸までの距離はかなり減っているはず。

私はこの浜のすぐそばで育ったから、この浜は私の幼時の思い出そのもの。いま、海浜公園には津波対策で巨大な防波堤が建設されつつあり、陸側からはいよいよ海が見えなくなりつつある。なんてことだろう。

大崎上島明石港の日没

 本日の一枚は大崎上島の明石港。

数年前に竹原から大崎上島に行き、大崎下島に渡るときにフェリーに乗るために港に行った。明石港から大長港までほんの10分ほどととても近い。

大崎上島には木江という古い町並みがある。当時は中国四国の古い町並みをよく訪ねていた。しかし、木江の町並みはいかんせんゴーストタウン化してしまっていた。いかな古い町並みとはいえ、無人化すると廃墟となってしまい風情はない。

瀬戸内の古い町並みは港町が多く、江戸時代は風待ち汐待の港で花街だったところが多い。ここも小規模だがそんな雰囲気があった。
山田洋次監督の「東京家族」のロケ地らしい。今では旧聞になっているかもしれない。


明石港から大崎下島の大長港に行くフェリーで。当時はこの紺色のフィットだった。





大鳴門橋

 

淡路島から大鳴門橋を渡るときに見た日没。

実際の写真はもっと迫力がある。




思い出深い場面。大阪から四国経由で帰る途中、神戸の高速入り口近辺で外国人ヒッチハイカーを拾った。高知に行きたいという。コロンビア人の学生で高知で和紙の工房に見学に行くという。徳島道に入るとガラガラで多分100㎞くらいで走っていた。はるか後方に一台のセダンがいるなぁ、と思っていると徐々に近づいてきて点滅灯を光らせ始めた。

何と覆面パト。徳島道は70㎞制限だった。罰金を2万だか3万だか取られた。コロンビア人の若者は事情が分からず自分のせいではないか?と心配していたので「Don’t worry !」と言ってやった。

その後暗くなり、西の空に金星と木星が近接して輝いた。「Look!They are Venus and Jupiter」というと、彼は「あなたは天文に詳しいですね」と言った。別に、詳しくなくとも日本人ならそれくらい知ってるんだよ。SAで彼を降ろし高知ナンバーの見つけ方を教えて別れた。

今日はたまたま金星・木星が接近しているのを観察できた。あの時を思い出す。

波当津のユニコーン

 本日の一枚はこれ


場所は波当津。4年前かなー。孫たちを連れて波当津に行くと、若者グループがユニコーンのフロートで遊んでいた。このフロート、ヨットみたいなもんでちょっと風があるとどんどん流される。若者たちがはるか彼方に流されるユニコーンに遊び飽きた頃、ちょっと借りて孫たちに遊ばせた。乗っている子は姪の子で、当時7歳。


ちょっと海の情景を変えてみた。


いずれにせよ夢のような光景である。日本にも楽園はあったのである。こんなところで毎年遊べる私の孫たちは幸せだ。


波当津の少女

 本日の一枚はこの少女


当時5年生の親戚の少女を孫たちといっしょに海に連れて行った。ちょうど背が伸びる時期の少女の伸びやかさを描いてみた。

実際は熊野江で遊んだ時の写真をもとにした。


この写真では曇天で海の色が出ない


これでも今一つなので別の日に撮影した波当津の海を組み合わせた


この少女はもっと年下のミキコちゃん。